船木 芳朗
  • Author:船木 芳朗
  • 感謝の気持ちを常にもって、いつも「ありがとう」と言われる人になれるよう毎日が勉強です。今まで得た知識を一人でも多くの人に伝える事で、人の助けとなり喜んでもらえる事が、世の中に貢献し子孫に注がれていけば幸せです。
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船木の音沙汰
船木の感動・思い・考え・伝えたいこだわり情報を・・・・・
ぐるなび会長が30億円
ぐるなび会長が30億円、母校に国際交流施設
びっくりする記事が・・・

お借りした内容は、

東京工業大は22日、大岡山キャンパス(東京都目黒区)に、日本出身の学生と留学生らが交流するための施設を建てると発表した
建設資金は、同大の卒業生で飲食店検索サイト「ぐるなび」創業者の滝久雄会長が寄付した30億円でまかない、建築家の隈研吾氏が設計する
2020年10月のオープンを目指すという
東工大の三島良直学長や滝氏、隈氏が会見して明らかにした。滝氏夫妻の名前から「Hisao&Hiroko Taki Plaza」と名付けられる施設は地上2階地下2階建て、延べ床面積約5千平方メートルの予定
交流スペースやグループ学習に使う場所などを設け、留学生を支援するスタッフが常駐するといい、内部には漫画家・映画監督の大友克洋氏に依頼したアート作品も設置する

会見で滝氏は「日本はもっと留学生を大切にすべきだ
この施設で、学生と留学生が積極的に交流してほしい」と期待を込め、隈氏は「日本の大学には留学生とコミュニケーションをとる場所が少ない
多くの大学にこうした施設ができて欲しい」と述べた
三島氏は、大学職員らが海外の大学にある類似施設なども視察して準備をしてきたと説明し、「国にこうした施設を要望してもなかなか認められない
滝氏の寄付に感謝したい」と語った

 いくら成功したからと言っても寄付30億円は言葉が見つからない・・・
どんな気持ちで出来るのか?
理解出来ないですが、
それだけの気持ちを持てる人になりたいです

     2017-04-09 ぎゃらりーさくら さくら (5).JPG

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「ドラマのよう」=小平と李の友情
感動と涙のお話が・・・
記事をお借りしました

18日のスピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒(相沢病院)はレース後、3連覇を逃して2位となった李相花(韓国)に韓国語で「チャレッソ(よく頑張ったね)」と声をかけ、ライバルを抱き寄せた
     2018-02-19 オリンピック.jpg

李相花は泣きながら小平にしがみつき、2人はそれぞれの国旗を手にラストラン
地元の応援で埋まった客席から、盛大な拍手が送られた
韓国メディアは感動の場面を詳報
朝鮮日報は「リンクも溶けた友情
これぞ五輪」と見出しを立て、10年間競い合う中で心を通わせ互いをたたえ合う姿が「美しかった」と記した
ハンギョレ新聞は「李相花を追い越したのは、小平がそれだけ血のにじむ努力をした証拠」と称賛した
東亜日報は、2人が並んで臨んだ記者会見で小平が明かしたエピソードを掲載
2014年のワールドカップ(W杯)ソウル大会で小平が初勝利を挙げた際、帰りを急ぐ小平のために、敗れた直後の李相花がタクシーを手配し料金も払ったという。今回の抱擁については「ドラマのよう
国境を越えた友情」と伝えた
李相花もレース後、自身のSNSに小平との写真を掲載
「いい思い出になるし、幸せだった。感動的な韓日戦」と締めくくった

 オリンピックで感動が沢山ありますが、この話はすごく感動・・・
涙が・・・
感動出来る事は、自分自身が健康である証拠・・・
健康に感謝です

セミナーで勉強
本日は、大阪までセミナーに参加しお勉強させてもらいました
   2018-02-13 チラシを・・・セミナー (1)_0.JPG

経営者は、常に勉強しないといけません。
お勉強させて頂き、驚く事ばかり・・・
本日勉強した事を即実行すれば明るい未来が見えました
興奮して今夜は寝れないでしょう・・・
何を勉強したかは・・・まだ
全国女子駅伝
本日は、全国女子駅伝が開催されていたのに遭遇
2018-01-15 女子マラソン (3)_0.JPG

お客様との約束しているので慌てていると渋滞でまったく動かない
スタートとゴール地点である西京極球場周辺から交通規制
もうゴールかと思って安心していたら、スタートが雪で遅れてたのか
事務所に向かっていたらどこも大渋滞
まさかスタートした後
そう思っていたら
西大路四条の交差点に赤で止まると
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予想があたりスタートした後だったようです
選手が通り過ぎるまで20分ほど通行止め
交差点の先頭に止まっていたので、写真撮影
2018-01-15 女子マラソン (2)_0.JPG
2018-01-15 女子マラソン (3)_0.JPG

自宅から事務所まで駅伝コースと方向が同じ、
どこかでコースを横断しないといけないと思い事務所に向かっていたら、
千本北大路でまさかのまた止めれれ交通規制に・・・
急ぐのはあきらめ、駅伝を見る事にしまいた

テレビでは見れないですが、選手の周りは先頭に何台かのパトカーと白バイ、NHKの中継車、最後には救急車など
約10台ぐらいの車が一緒に・・・
コースには、交通規制する沢山の警察官、道路にはコースを監視する人などすごい多くの人が・・・
一般道を交通規制しての駅伝、かなり大勢の人が裏方としてされているのをまじまじと見る事が出来ました。
裏方の方に感謝ですね

京都は、この駅伝すごく強いんです。
昨年優勝、連覇がかかっていたのですが連覇は出来ず残念でしたが2位・・・
地元なので、応援している人もすごい人数・・・
何か1つに大勢の人が応援するって感動が一杯ありますよね

すっかり約束していたお客様とは30分遅れてしまいました
大変ご迷惑をお掛けして申し訳ございませんでした。
駅伝に遭遇した事をお話してちょっと駅伝の話に花が咲き・・・
駅伝遭遇、交通規制で交差点の先頭・・・
結果、目の前で見れて良かった1日でした

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男として経家者として見習っていた星野さんの死
星野さんが亡くなられて数日が経ちましたが、ネットやテレビでいろんな事が取り上げられてます。
野球ファンだけでなくいろんな人に惜しまれて・・・

いろんな話が沢山語られていますがその中で一番心打たれた記事を・・・
お借りさせて頂きました

     2018-01-08 星野監督1_0.jpg

星野仙一氏が語っていた金本阪神移籍秘話

球界全体に星野仙一氏急死のショックが広がっている
突然すぎる闘将の訃報に野球界だけでなく、芸能界や政財界からも、故人を偲ぶ声が止まらない
“男・星野“が、いかに多くの人に愛され信望を受けていたか
多くの人の人生にかかわってきた、その足跡の偉大さを象徴しているようだ

阪神の金本知憲監督も、星野氏に人生を切り開かれた一人だ
もし星野氏が、2002年オフに広島でFAとなった金本氏を阪神に誘わなければ阪神でキャリアを終えていないだろうし監督にもなっていなかっただろう

金本監督は“恩師”の訃報に際し、わざわざ球団事務所で会見を開き公式HPに追悼のコメントを掲載した

以下が、その要約だ

「いまだに受け入れられないという気持ちです
最後にお会いした昨年12月には
『しっかりブレずに自分の思うように頑張れ』
『絶対にタイガースは強くなるから辛抱してやれよ』
と激励の言葉をかけてくださりました
タイガースに来て2回も優勝させていただいて、本当にいい思いをさせていただいたのは星野さんのおかげです
私の中では関西の父親代わりみたいな存在でした
少しでも良いところは生かして、常に胸の中に思いながら戦っていきたいと思います」
 
金本獲得に関する秘話を生前の星野氏に聞いたことがある

「阪神を本当に変えるためには、チームの血を入れ替える必要があった
カネのように闘争心があり、負けることをとことん嫌い、努力を惜しまない兄貴分的なリーダーがチームに必要やったんや」
2001年オフ
名将・野村克也氏の辞任を受け中日監督から阪神監督に間を置かず電撃就任した星野氏はその初年度はチームの様子を見ていた
開幕から7連勝
6月上旬までは首位を走り“星野フィーバー”を起こした
だが、結局、Bクラスの4位
大胆なチーム改革、“血の入れ替え”の必要性を感じた星野監督は、久万オーナーを情熱をもって説き伏せ、本社の“金庫”を開けさせた
用意された再建資金は50億円とも60億円とも言われた
星野伸之氏、弓長起浩氏、船木聖士氏、遠山奬志氏や、外国人選手ら20人を退団させた上で大型補強に乗り出す
その目玉が広島からFA宣言した金本氏だった
だが、当時、広島の監督は、山本浩二氏。東京6大学時代から田淵幸一氏と3人で苦楽を共にし、ときにはライバルとして、ときには同期生としてしのぎを削ってきた大親友である
その親友からチームの主軸を奪うことが心苦しくなかったか?と聞くと「筋を通した」という
「カネがFAになったとき、浩二に“獲りにいってええか”と聞いたんや
そしたら“出ていくならええよ”と。浩二の了解を得たんやから、遠慮はいらんわな(笑)」
後に山本浩二氏は「出ていくとは思わなかった。仙ちゃんに強引にやられた」と悔しがったそうだが、星野監督は、親友だからこそ、なおさら「信義」を大事にした

親友の了解を得てからの星野氏の動きは早かった
 
FA交渉が解禁になるとすぐに交渉舞台を設定して自らが出馬した
いかに阪神の変革に金本が必要かを、あの球界屈指のスピーチ力で説いた
もはや有名になっているが、
「球界全体を考えろ」「おまえは俺と一緒に歩むことなっている」
などの名セリフを投げかけ、
「とにかく早く(判子を)押せ!今すぐ決めろ!」
と即決を迫ったという

半ば脅しだった

「カネには、広島愛がある
“考えます”と時間を与えたら、迷うことは間違いない
だから、あのときは、すぐ決めさせないとあかんかった」

当初、提示した条件は、3年9億円(金額は推定)

星野氏の大迫力に押された金本は、「すぐ(判子を)押しますから4年契約にしてください」と要求したという
おそらく、そうでも言えば、もう少し考えるための時間稼ぎができると考えたのだろう
だが、そこでの対応が、また星野氏流だった

「わかった。4年でOKだ」と、その場で4年12億円(金額推定)の条件を認めて判を押させたのである
即決即断
そのスピード感と決断力は一流企業のリーダーと共通した部分
久万オーナーからの“全権”をもらっていたといえど、今までの阪神では考えられないような決断力だった
実は、この時、狙っていた元ヤクルトのロベルト・ペタジーニの争奪戦で巨人に敗れ、FA交渉していた中村紀洋氏も近鉄残留を決め、“星野構想”が頓挫しかけていた
それだけに金本氏は絶対に欲しい戦力だったのである

中日時代にロッテの落合博満氏の1対4トレードを実現させ、中尾孝義氏ー西本聖氏の同一リーグのライバル巨人とのトレードまでやってのけてきた星野氏は、有能なGM兼任監督だった
中日、阪神、楽天と、3球団で低迷したチーム再建に成功して優勝監督となっているが、いずれも本社やフロントを説き予算と決定権を握った上で自ら補強交渉に動いている
積極投資が勝利につながれば、確実な経済効果を生む、という資金力のあるメジャーのトップチームが採用していたスポーツマネジメントである
 
そして、半ば強引に見えた交渉哲学には「信義」があった

「駆け引きはあかん。お互いが信義を示し、認めあうことができれば、後はどうにでもなる」

その「信義」とは「選手の将来を考える」という譲れぬ信念でもあった
だから、来た人も去った人も、今、永眠した星野氏へ感謝をこめて惜別の思いを語るのである
結局、2002年オフ、星野阪神は、金本氏に加え、メジャーから伊良部秀輝氏を凱旋させ、後に“JFK”の一人になる左腕のジェフ・ウィリアムズを獲得、日ハムとの間で下柳剛氏、野口寿浩氏、中村豊氏対坪井智哉氏、山田勝彦氏、伊達昌司氏の大型トレードを成立させた
およそチームの3分の1となる26人もの人間を入れ替えたのだから、もはや別のチームに生まれ変わったと言ってよかった
星野氏の思惑通り、金本氏はフルイニング試合出場を続け「何があってもゲームを休まない」という、その姿勢は阪神に蔓延していた「どこが痛い、あそこが痛い」ですぐにトレーナー室に駆け込むという“悪習”を撲滅した
試合後にバットスイングとフィジカルトレーニングを終えてから帰宅するという金本氏のライフスタイルを赤星憲広氏や鳥谷敬氏らの若手が見習うようになり、チームの空気は一変した
星野氏が、放り込んだ金本という“劇薬”がチームに見事な化学反応を起こしたのである
この年、阪神は18年ぶりにリーグ優勝した
 
昨年12月に大阪で行われた「殿堂入りを祝う会」で星野氏は、「生きているうちに阪神と楽天の日本シリーズを見たい」と言った
監督就任と同時に“超改革”を掲げて3年目に突入する金本監督の胸の内には、星野氏が行ったチーム改革がイメージとしてあるのだろう
星野氏への追悼コメントを残すために球団事務所を訪れた金本監督は、2003年に甲子園で胴上げされている星野氏の写真パネルを長い時間、ずっと見つめていたという

 まだ亡くなられた事が信じれないです。
タイガースファンなのでタイガースの監督になられた時から急に気になる人になりました。
中日の監督時代は、「闘将」と呼ばれる熱血な人のイメージしかなかったのですが、タイガースの監督になられてからは
チーム革命を起こし、2年目で優勝・・・
この時に、名門チームでも 「1人で変えれる」 事を教えてもらいました。
監督も経営者もトップに立ってチームを引っ張る事は同じです。

星野さんからお勉強させて頂いたのは、

「自分を信じ、選手に厳しく、そこに出来る限りの愛情を注いで信じきる」

これを経営している限りやり続ければ必ず会社は続けていける・・・
革新した出来事は、楽天がジャイアンツを破って日本一になったシーン
前日に160球投げた田中投手を9回に投げされて事、
常識では考えれない状況で、この年優勝できた立役者に優勝の瞬間を・・・
この瞬間を、リアルタイムにテレビを見ており、涙した事を今でも鮮明に覚えています
お逢いした事はないですが、これだけ心に響いた人は居ないです。
星野さんのような男として、経営者として、なれるように・・・
本当にいろんなことを勉強させて頂きありがとうございました

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