船木 芳朗
  • Author:船木 芳朗
  • 感謝の気持ちを常にもって、いつも「ありがとう」と言われる人になれるよう毎日が勉強です。今まで得た知識を一人でも多くの人に伝える事で、人の助けとなり喜んでもらえる事が、世の中に貢献し子孫に注がれていけば幸せです。
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船木の音沙汰
船木の感動・思い・考え・伝えたいこだわり情報を・・・・・
「ハッピーに過ごす」を大切にしています
愛される女はモテテクよりも「ハッピーに過ごす」を大切にしています

の記事が気になりました

ここからは記事をお借りしています

突然ですが、あなたは普段ハッピーに過ごせていますか
実は、この「ハッピーに過ごす」というのは、愛され女子になるために、とても大切なこと
そこで今回は、その理由と、ハッピーに過ごすためのコツをご紹介していきましょう

ハッピーに過ごすとなぜ愛される?

ハッピーに過ごしている女子は、幸せそうに見えます
これは女子に限らずで、ぐっすり寝ている赤ちゃんや、日向ぼっこをしている猫、しっぽを振りながらワクワクで散歩をしている犬などを見ても、幸せな気持ちになれますよね
いつも楽しそうでハッピーそうなあの子
一緒にいたいと思うのは当然のこと。それなのに、恋愛をはじめるとついつい「彼に好かれたい」が先行してしまい、こういった基本を忘れがち
あなたにもきっと、心当たりがあるのではないでしょうか

ハッピーに過ごすってどういうこと?

ハッピーに過ごすといっても、具体的にはどんな状態のことをいうのか、ちょっと漠然としていますよね
これを紐解くためには、英語でのこの言葉の使い方を見てみるといいかもしれません
ハッピーは「幸せな」「幸福な」を意味する形容詞
ちょっと仰々しく、大層なものに感じるかもしれませんね
しかし、実際に英語で使う場合には、「嬉しい」「満足」といった、軽い気持ちに用いられることも多く、こういったプラスの表現がたくさん含まれているのです
「幸せに過ごす」と聞くと大それたように聞こえますが、小さな嬉しさやちょっとした満足感と考えれば、だれにでも意識できそうな気がしませんか

いろんな物に目を向け「楽しい」を探す達人に

では、そのためにどうすればいいのか
まずは、視野を広げてみるのが◎
いままで自分が思っていた「楽しい」の中だけでは、ハッピーの素も限られてしまいます
これを機に、あまり目を向けてこなかったジャンルや世界も覗いてみませんか
たとえば、テレビやネットでいろいろな情報を集めてもいいですし、友達の趣味や、ハマっていることに興味を持ってみるのもおすすめ
結果よりも、過程を楽しむことを意識すると、ハッピーを感じやすいですよ

自分をいたわる時間を作る

毎日忙しくしていると、なかなか自分をいたわる時間が作れないかもしれません
アレもしなきゃ、コレもしなきゃ
となっているなら、まず優先的に、リラックスする時間を確保してみてはいかがでしょう
アロマを焚いてリラックスしてもいいですし、シャワーで済ましてしまいがちなら、ゆっくりお風呂に入ったり、おいしいものを食べたり
早めに寝るのもおすすめです
自分に優しくできれば、優しくできた自分にもハッピーな気持ちを持てますよ

断る勇気を持つ

人がいいと、アレもコレも引き受けてしまうこともしばしば
人からケチだと思われたくないとか、友達がよろこぶからなど、断り切れない理由もあることでしょう
でも、人には限界があります
ここでいう限界とは、「こなせるギリギリ」ではなく、多少トラブルがあっても、カバーできる余力を確保したうえでの量
楽しいことを探す時間や、自分をいたわる時間を確保したうえでこなせる量のこと
ちょっとお疲れモードだな・・・・・・、というときは、頼みごとや飲み会などを、キッパリと断る勇気を持ちましょう
断ることで、ハッピーに過ごせるケースは意外と多いのです

おわりに

ハッピーに過ごすためには、一日一日のサイクルが健全であることも大切です
規則正しい生活リズムと食事、そして積極的に楽しむ気持ちを基本にして、自身で笑顔の自分を作っていきましょう
ハッピーに過ごすことは、愛されことに繋がり、さらにハッピーの数を増やしてくれるはずですよ

 「ハッピーに過ごす」すごく大切と思います。
20代は努力・我慢をする事が多くありました。
が・・・もう50歳になると残りの人生をすごく考えるようになりました。
先の方が短い年齢・・・
毎日 「ハッピーに過ごす」 心がけ実行していきたいと思いました


2018-01-15 ハッピー_0.jpeg


株式会社つくる 設立
2018年1月11日 新会社として
株式会社つくる
を設立いたしました

     写真3枚合 ぎゃらりーさくら(5)ブログ

1998年さくらハウスを設立した時から思っていた事
独立したい人が独立しやすいように、フランチャイズ展開をしたい
との思いで、設立当時から、さくらハウスは屋号、
法人名は別にしていました。

そんな事を思ったのは、不動産業界に入った20歳の時、
40店舗強も展開されている社長さんとの出会いが・・・
お客様として知り合ったのですが、努めている会社の
隣ビルオーナーであり、お店が向かいであったので、
仕事で毎日のようにお逢いする事が始まりでした
父親と同じぐらいの会社経営者の方とお話する事が少ない
時だったので、いろんな話を聞かせてもらう事がすべて新鮮
その中の話が・・・・・

この会社はの支店すべてフランチャイズなんで別会社やで・・・
ここで詩行して、お店を任せれるよになれば、お店を準備し
そのお店の権利をすべて任せ独立してもらってるんやで、
出店に係る費用とそのお店の近くに家を購入・・・
そこまで準備する事がわしの仕事、
その後は、お店を頑張って繁盛させて、お店と家の費用を
分割で返済しれば、すべて自分の物になるようにしてる
お店が自分の物、さらに家も自分の物になるから必ず仕事頑張るから誰も失敗しない、
失敗しない為に、まず詩行して仕事を思える、


新規出店で一番難しいのは、まず会社を知ってもらい信用を築く事。
信用してもらえないとお客様は来てくれない・・・

そこが一番難しいから、お店が続けれず潰れてしまうんやで。
そこを信用してもらう為にフランチャイズはすごくいいんや・・・
何店舗はお店があり、どのお店も繁盛していると、支店として
新規出店しても、すぐにお客様信用してもらえ安心してお店に
来てくれる
このシステムを使えば、独立開業するにあたり、一番不安な事は
解決出来る・・・
いつかは仕事を辞める時が来る、
その時に頑張って仕事してくれていた人が路頭に迷わず済む
仕事先が自分の会社であれば将来も安心出来る
そんなスタッフを1人でも多く創る事が経営者としての仕事


それまでは、お金儲けの為だけ考えて支店を沢山だしておられると思っていたので、そんなにスタッフを大事にされている事に
衝撃的なお話でした。
その事を聞いた時、さらに言われてのが、

もし、船木君が自分の会社を持つ事が出来、社員さんを雇える
ようになれば、そのスタッフさんの将来の事は必ず考えてあげる
それが経営者やで・・・


もう30年も前の話ですが、衝撃的すぎて今でも鮮明に覚えてます
そんな思いで創った会社も今年で20年、
設立当時の思いがまったく出来てません。
2017年50歳になりました。
これからは、スタッフさん貢献をしていかなしと行けないとの思いから、すでに遅いですが独立する人を応援出来る
体制を創る為に、新会社を設立しる事にしました。
もう、自分のお金儲けだけしても良い年を超えたと思っています。
今迄いろんな人に助けてもらってきました。
これからは、自分の人生でこれから世の中に貢献出来る事をする年齢と思っております。
どんな事が出来るかではなく、
小さな事から・・・少しでも貢献できればと思っています。


さくらハウスは、お客様と一緒に家を創る仕事しかしておりません「独立した人を創る」
との思いの共通点が 「創る」
その思いを叶える為に、社名を 「つくる」
にしました。

「つくる」は創る、作る、造ると異なる漢字があります。
そのすべてを 「つくる」 との意味をと思いひらがなで
「つくる」
にいたしました。

そんな思いを共感してもらえ、
建築・不動産・賃貸管理の3つの柱にした独自のノウハウを使い
一緒に「さくらハウス」として起業したい人とまず、一緒に仕事したいです。
さくらハウス30周年には、京都市内すべての区に、
フランチャイズを出したいです。


   2013-10-15船木ブログ


匠大塚会長が“父娘げんか”を経て語る「事業承継ここを誤った」
事業継承で気になっている事・・・
世間を騒がせた 「大塚家具」 の前会長である 現匠大塚会長のお話がすごく心に残りました

その内容は・・・記事をお借りしております

大塚家具を創業、かつて「家具業界の風雲児」と呼ばれた大塚勝久氏
創業者である父と長女の経営権をめぐる争いは記憶に新しいが、大塚家具を去った2015年に新会社「匠大塚」を立ち上げ、70歳を過ぎての「第2の創業」に挑んでいる
その大塚勝久氏が、第2の創業に掛ける意気込みと、多くの同族経営企業が抱える事業承継の難しさについて、自身の経験を踏まえて語った

 70歳過ぎての創業、経営の集大成

私が「大塚家具」から身を退いて2年半、「匠大塚」東京日本橋(2016年4月)、春日部本店(2016年6月)の開業で家具小売業に復帰して1年半たった
匠大塚は、70を過ぎての第2創業であり、私がこれまで家具の小売業界で学び、培ってきた経営の集大成となるものだ
私を慕って大塚家具から匠大塚に移ってきてくれた社員たちのためにも絶対に成功させなければならないプロジェクトである
一方、長女の久美子が社長を務める大塚家具は、16年末決算では売上高を対前年比で20%も減らすなど苦戦を強いられていると聞く
今は袂を分かってしまったが、経営者としてはこれからが本当の勝負である
「家具が売れない時代」「もはや高級家具は必要とされない時代」などと言われて久しい
ニトリやIKEAなどの低価格な家具と日用製品を売る店が注目される一方で、高・中級家具を軸とする路線を取るのは匠大塚と大塚家具だけである
どちらが世の中に受け入れられるのか、74歳の身にファイトが湧いてくる
これからまた楽しくなるのだ
2015年の創業以来、大塚家具との争いにならないよう、匠大塚はもっぱらホテルの家具やオフィスの応接家具などのコントラクト関連と百貨店への納品に力を注ぎ、小売りには大きな力を注いではこなかった
大塚家具時代のお取引先からお声掛けいただいても仕入れを急がず、価格帯でぶつからないようにしてきた
その一方で、仕入商品を徐々に増やし、私たちなりの売り方で売れる体制を整えてきた
2017年12月には春日部本店や東京・日本橋のショールームで扱っている約1万7000アイテムの一斉値下げを行なったのだが、これは、言ってみれば匠大塚の反撃の号砲だ
社員たちには、「競争をするのだから勝ちなさい」と発破をかけている
私自身、創業会社を追われた身である
二度と失敗はできない
親子なのだから久美子の健康も業績も心配だが、なかなか浮上の兆しが見えない大塚家具の状況を見るにつけ、ここで私たち匠大塚が頑張らなければ、日本の家具文化が完全に消えてしまうと感じている
そもそも日本の家具業界が衰退した訳を肌で知る身には、第2創業はなんとしても成功させなければならないものだ

 大塚家具の事業承継は何が問題だったのか

この連載では私のこれまでの経営、これからの経営について述べようと思っているが、まずは大塚家具の経営権を巡る争いについて、触れておきたいと思う
それは、私が経営者として身を以て難しさを感じた「事業承継」について、少しでもみなさんのお役に立てれば、と思うからだ
大塚家具における事業承継での最大の失敗と反省点は、私自身が「私の時代認識や事業観、経営観などを子どもたちが分かってくれている」と過信していたことにある
というよりも、「言うまでもないこと」という感覚があった。それは私の甘さでもあった
私たち夫婦には5人の子どもがおり、いずれもが自慢の子だった
仕事の忙しさにかまけて家庭を顧みない父親であったのに反発することもなく、学校も自由に選び、父親の仕事を手伝いたいと皆が思っていてくれた
それは子どもたちが大学で専攻した学部を見るとよくわかる
長女は経済、長男(匠大塚の勝之社長)は彫刻科、二女は法律、三女が芸術学部、次男が建築であり、誰もが「大塚家具のために役に立つだろう」と考えての選択だったようだ
子どもたちがそれぞれに「自分を認めてもらおう」と思ってやっていたことであるが、私はそれを積極に認めてあげようとしていなかった
その気遣いのなさは責められてしかるべきものだったかもしれない
子どもたちが大塚家具の仕事と関わるようになっても、それは基本的に同じだった
「親子だから」という帝王学を施すわけではないし、あくまでも一社員として他の社員と同様に叱ったり褒めたりしていただけだ
それでもなお私には、「見ていれば分かるだろう」という期待があったのだ
私は心の中では、長女と長男が協力してやっていくのが一番だと思っていた
2人でやったら、絶対にどこにも負けない会社になると思っていた
子どもたちの大学での専攻が異なるように、それぞれが得意な分野で力を発揮してもらう
長男の勝之が営業を担うなら、長女の久美子は財務を担うといった具合だ
その上で、将来的には大塚家が大塚家具の経営から身を退き、いわゆる「資本と経営の分離」の体制をつくることが望ましいと考えていた
実際、そのための準備も始めていた
例えば、普通ならば「長男が跡を取るのだろう」ということで、長男には資産管理会社の株の半分を持たせていた
しかし資本と経営の分離を考えればこうした状態がよいわけではなく、実際、他の子どもたちからも異論が出たので株を均等に分けることにした
長男は不満だったかもしれないが、将来の事業経営を考えれば均等に持つことが大塚家や大塚家具にとって最良の方策なのだと納得してもらった
その際、妻には株を配分しなかった
つまり5人の子どもたちが19%ぐらいずつ株を持つ形にした
私は、「これでいいのだ」とほっとした気持ちでいた
しかし、この均等に分け与えたことが、後に私や長男の役員解任につながるものになったのはなんとも皮肉だ
妻にも同じように株を持たせていれば対抗ができたかもしれないが、今さらそれを言っても始まらない
もう一つの反省点は、これは私の欠点でもあるのだろうが、「経営を楽しく見せなかった」ということだ
私は小学生の頃から、桐だんすの職人であった父の仕事を手伝い、お店で家具を売っていたから、家具を見る目は誰にも負けない自負があった
だから商品仕入もすべて私一人で判断してきた
それは全責任を私自身が引き受けるという覚悟なのだが、そこで経験していた苦悩によって「経営は楽しいものではない」というムードを周囲に発していたのかもしれない
それでも久美子は、「経営をやりたい」と言ってきた
当初私は、それは私に対する彼女なりの応援だと思っていた

 「社長をやらせてみよう」と思ったが

長女の久美子は1994年に大塚家具に入社した
当時、バブル崩壊後に大規模小売店舗法が改正され、さらにバブル期に計画された建物が完成はするものの借りるテナントがなく、家賃は下がり続けていた
この2つの流れを追い風に、大塚家具は全国に店舗網を拡大、急速に社員が増えたりして組織体制の構築が急務になっていた
そこで私は、当時、富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)に初の女性総合職として入行し融資業務や国際広報などを担当していた久美子に、人材育成などの内部体制づくりを任せたいと思い大塚家具に入社させた
先にも書いたように、子どもたちがそれぞれの能力を発揮して会社を育てていく最初の一歩とする考えもあった
結局、久美子はプロジェクトを終える形で2004年に一度、取締役を辞任した
経営会議などでは異論があれば遠慮なく意見を言っていた
今でも思い出すのは、九州地区初出店となる1999年の「小倉ショールーム」の開設をめぐる議論だ
「九州地区への初出店であれば、小倉ではなくまずは博多をめざすべきだ」と久美子が説くのに対して私は、「それは十分に分かっている。小倉よりも博多がよいのは言うまでもない
しかし初出店に、より難しい場所で成功させれば好条件の勧誘が必ず出てくるものなのだ」と諭したのである
本人が納得していたかどうかはともかく、異論をぶつけてくるのは私への応援であり、私への「諫言役」を担ってくれているのだと頼もしくさえ感じていた
そこで「それほどやりたいのならばやらせてみよう
なにしろ長女で、5人姉弟の一番上だし、長男は営業部門で頑張っているから大丈夫だろう」と考え、2009年、社長を譲ると決めた
その決断をした際、私は痛み始めていた大塚家具の財務体質を一掃した。2008年はリーマンショックの影響で、どの企業も減収減益の決算を余儀なくされた
大塚家具も同様だった
2008年12月期決算は、売上高が8%減、営業利益が73%減、経常利益が70%減で、当期赤字になる惨憺たるものだった
そうした決算の中であえて私は、投資有価証券や固定資産の減損を決め、それが当期利益の赤字につながっていた
しかし言葉を換えれば、これは身ぎれいにして次の決算に負担をかけないための措置でもある
私としては次期社長に負担をかけないための決断だった
「社長が代わったらよくなった」と言ってもらえる基盤というか前提を用意したつもりだったのだが、周囲から聞こえてきたのは「社長交代は、先代が経営不振の責任を取って辞めた」というものだった
こうした捉え方をされたことは、非常に残念だと思っている
減損処理についての言われ方は、私にとっては大変不愉快なものであったが、会長として社長を育て、会社の業績も徐々にだがリーマンショックから抜け出していく中で、「私も我慢というものを学ばなければならない歳になったな」などと思っていた
しかし、久美子の強い意志に気付かされたのは2013年だった
私が、会社を離れていた長男の復帰を求めたのに対して、ある社外取締役の就任を提案したのである
それは自分の思う経営路線、つまり、私とは違う経営方針を推し進めるための準備であったのだろう
しかも、「その選任案が認められないのであれば、私は社長を辞める」という条件まで付いていた
それまでは「次の世代の人たちのことだから」と若い人たちの人事にも賛成してきたのだが、「就任案を認められなければ辞める」というのは経営責任としても許されるものではない
「辞めたければ辞めればいい」と反論したものの、彼女の意図をはっきりと実感させられたのである

以後は、皆さんもご承知のような久美子の社長解任と私の社長復帰、そして2015年の私の解任へと争いが続いてしまった

 大塚家具には早く立ち直ってほしい
私の商売の鉄則は、「良い物の価値を、十分な説明でご納得いただいて、値引きなしで売る」ということだ
家具業界に大きな反発を受けながらも取り組んできた改革であり、大塚家具は消費者に支持されてきた
その考え方は、今後この連載で詳しく述べさせてもらおうと思っている
振り返れば、売上高が数百億円から1000億円を狙えるまでに急成長を遂げている過程で久美子は入社し、内部体制の整備に力を注いでくれた
しかし一方で、彼女は物を売る現場で私の鉄則を学び、身につけてきたわけではない
会社を離れていたときには法科大学院にも学び、コンサルティングの会社を設立したように、きちんと理屈立てて考えるのが好きだし、それが正しいと思っているのだろう

それ自体を間違っているとは思わない
だが、創業者がどのような環境の中で、ある意味でワンマンで理屈に合わないような鉄則を駆使しながらも企業を成長させてきたかを、後継者として学ばせる必要があったように思う
そして、「姉弟の役割分担」を学ばせなかったことを深く反省する気持ちもある
匠大塚の社長を務める長男の勝之は、すでに四半世紀にわたって私のそばで私の経営を見ている。久美子とは逆に、私の感性や営業への姿勢などは十二分に学んできた
いったい「私と長男」、「久美子」のどちらが今後の家具販売の潮流をつくれるのか
今後、匠大塚は大塚家具の一番のライバルになるだろう
ただ、その勝負のゆくえよりも、私は、大塚家具には早く立ち直ってもらいたいと思っている

(匠大塚会長 大塚勝久)

 世間では聞けなかった大塚社長の本音が書かれていました
「事業継承」の難しさがすごくわかりました
ちょっとした小さな事失敗を生み出す。
人として素晴らしい・・・
経営を勉強したきた・・・
付いてきてくれる人が居る・・・
それでも出来ないのが、会社経営、
いろんな事が本当に勉強出来るお話です。
会社を経営するといつか誰かに「事業継承」する事になります。
誰に・・・
でが重要ではなく、会社が生き残って行けるようにする事も経営者の仕事です
いつか役に立つことの為に・・・

     
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22歳のスタッフからお土産
休みに遊びに行ったら、会社にお土産を買って行く・・・
社会人になってからしていたことですが、他の人が買ってこなくなったので、いつの間にかそんな
事をしていませんでした。

しなくなったのはある日
「かっこ付けて、休みに旅行行ったぐらいでわざわざお土産なんか買ってこなくてもいいのに」
こんな事を言った同僚がいたからなんです

そんな事をすっかりしなくないっていたところ、事務所の冷蔵庫を開けると

メモを付けたお土産が・・・
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なんと昨年末から仕事にきている仕事をしながら夜間学校に行っている22歳のスタッフさん

若いのにこんな事出来るんだ・・・っと驚きと感動
ご両親にきっちり教えてもらったんでしょうが、そんな事を教えてくれる親が今の時代どれだけいるんでしょうか?
教えてもらってもなかなか出来ない事です。
そんなご両親に育てられ、実行出来る・・・
今では貴重な人材です。
人に対して心を動かせる行動が出来るので、
今後お客様と接する仕事(世間では営業)として活躍出来る事を確信しました
そんなスタッフをきっちり仕事出来るように育てるプレッシャー
精一杯伝授出来ればと思います
お正月から嬉しい事ばかり続いてます
昭和レトロな定食
先日、「昭和レトロなランチ」 に出会いました

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学生時代に良く食べていたランチはこんな風にいろんなおかずがある物が多かったです。
寂しい事に最近は見かけないです
会社や家の近所にこんなお店があれば、行きつけにしたいです。
お店も昭和の建物感万歳・・・
どう見ても昭和の建物
どこにあるのかな~